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Jimi Hendrix 1942−1970

1966/7 英国にてザ・ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンス結成

アニマルズのベーシストだったチャス・チャンドラーに見いだされ渡英する。チャンドラーにヘンドリックスの情報をもたらしたのは、キース・リチャーズ(ローリング・ストーンズのギタリスト)の恋人だったリンダ・キースである。 当時のヘンドリックスは単なるバックミュージシャンを脱し、自らのバンド「ジミー・ジェームズ・アンド・ザ・ブルー・フレイムズ」を率いていたが、チャンドラーにスカウトされたのはヘンドリックス1人だけだった。

チャンドラーはヘンドリックスの演奏を初めて聴いた際、「ギタリストが3人くらい同時に演奏しているのかと思ったが、実際にはジミ1人だけと知り驚いた。これほどの才能に誰もまだ気がついていなかったなんて、何か裏があるのではないかと不安になるほどだった」と感じたという。チャンドラーに渡英を勧められたとき、ヘンドリックスはイギリスで自分のようなブルース系ミュージシャンが受け入れられるか不安だったらしく、イギリスの音楽シーンについて多くの質問を投げかけた。そして、自分のイメージとと同系とみなしていたイギリス人ギタリストの「エリック・クラプトン」の名を挙げ「会わせてくれるか?」とチャンドラーに尋ねている。チャンドラーは「君の演奏を聴いたら彼(クラプトン)の方から会いに来るよ」と答えている(チャンドラーの談話)

ロンドンに於いてオーディションを行い、ノエル・レディング(ベース)、ミッチ・ミッチェル(ドラムス)と共に「ザ・ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンス(The Jimi Hendrix Experience)」を結成。

1966年10月から活動を始める。この際に名前をジェームズ(Jimmy)から、ジミ(Jimi)に変えた。イギリス国内でクラブ出演を重ねる一方、ポリドール系のトラックレコードからデビューシングル「Hey Joe / Stone Free」をリリース。全英4位のヒットを記録しスターの座に上る。

アメリカの伝統的なブルースをベースにしながら、それまで誰も聞いたことのなかった斬新なギターサウンドや卓越した演奏技術、そして圧倒的なインプロヴィゼーション能力を披露することにより、ヘンドリックスは一般の音楽ファンはもちろんプロのミュージシャン達に与えた衝撃はあまりにも大きかった。

渡英したばかりのヘンドリックスの演奏を初めて目の当たりにしたエリック・クラプトンは「誰もジミーのようにギターを弾くことはできない」と語っている。ジェフ・ベックは、「メジャーデビューしたばかりのヘンドリックスの演奏を聴いて廃業を考えた」と語っている。ヘンドリックスのステージにはビートルズやローリングストーンズなどのメンバーが顔を見せ、出演するクラブには連日長蛇の列ができたという。

出典/ウィキペディア(Wikipedia)

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